MAKOTO AYUNAGA
PROFILE
-
鮎永麻琴
京都生まれ 1971 -
スノーボード
全日本チャンピオン
(同志社大学在学中) 1992 -
国際線CAとして13年間
ファーストクラスに乗務
(在籍中に結婚・出産・育児両立) 1993 -
クチコミビジネス2社経験
2社とも世界最高タイトル獲得
最高月収は800万円 2007 -
セミリタイアしNYに移住
フォトグラファーとして
写真集出版 2009 -
最愛の息子から
「世界一のママ」の称号をもらう 2010 -
帰国後、人工知能開発法人設立
CMO(最高マーケティング責任者)
として対話AIのディレクション担当 2017 -
人生2度目のセミリタイア
コミュニケーションの学校を設立 2020 -
TEDxFUKUOKA登壇
「自由への切符」でスピーチ 2021 -
書籍「philosophy of Success 〜
成功者の名言」で成功者35人の一
人として選ばれる 2022
ABOUT
私は、絵が上手いとか楽器が弾けるとか、何か「特別なこと」が出来る子供ではありませんでした。
ただ、一人娘で厳しく育てられたため、親に認められたい一心でとにかく目の前の事を頑張って生きてきました。
これまでもどんな仕事であれ、与えられたことはその全体像が見えなくても目の前の人を信じてとにかく素直に一生懸命頑張り、先を読んでひと工夫加えながら結果を出す努力を続けてきたように思います。
同志社大学在学中にはスノーボード全日本チャンピオンの座を獲得しW杯にも出場、世界ランキング20位までなったりもしましたが、4年に一度しかないチャンスに自分のタイミングを合わせることの難しさを痛感しました。
卒業後は生まれ育った京都を出て航空会社に就職し、国際線の客室乗務員として世界最高水準のサービスマインドを徹底的に身につけました。
新人の頃からファーストクラスに乗務する中で培われたホスピタリティは、現在の仕事にも繋がっていると思います。
10年以上の国際線乗務の中で訪れた国は30カ国以上。
その間は、結婚も出産も育児も全てを両立させ充実した日々を過ごしていましたが、与えられた仕事をこなし給料をいただく人生から、個人の能力とシステムでサラリーマンの年収を月収にしてしまうビジネスの世界を経験し、収入に対するパラダイムシフトを体験しました。
そんな仕事をセミリタイアし、NewYorkに移住したのは2009年のことでした。
NYというこの地球上でトップクラスに入る「大都会」で、写真の学校に通い音のない「写真」というものを通して光と影、そして「音」をどう表現するのか?そんなことにチャレンジしたり、週に何度も美術館に通ったりオペラやミュージカルを見まくったり、そしてがっつり子育てにも向き合いました。
「働く」ということから離れ、日本から10000km以上離れたNYでワタシが向き合ったものは「ワタシ自身」でした。
仕事で現場から得た経験や高額なお金を払って学んだ「成功哲学」や「心理学」だけでなく、自分が幸せだと思う自分らしさを人はどのように手に入れるのか?
そんなロジックを探し始めたのです。
2009年に始めたTwitterが2010年にフォロワー10万人を突破し、インターネットがもたらした、距離や時差を超えて世界中の人たちと「つながる」ということの可能性、そして世界中の人たちに愛を届けられるという手応えを感じていました。
個人としての自分、日本人としての自分を見つめ直すとともに、渡米中の2011年3月に起きた東日本大震災は特に「自分には何ができるか」を深く考えるきっかけとなりました。
人と仲良くなることは苦手ではなく、むしろ得意だったかもしれませんが、そんな私も全てが順風満帆だったわけではありません。
CA時代は割と厳しい先輩が多く、胃壁に穴が空き、頭にはいくつも小さなハゲをつくり、血尿を出しながら乗務するという過酷な職場でした。
今となっては笑い話ですが、何度飛行機から飛び降りようかと思ったか分かりません。
独立してからも、自分を労わることも人にお願いすることも苦手な私は、血尿を通り越して乳液みたいに真っ白く濁ったおしっこが出ても仕事をし続けました。
孤独を感じ、もうダメかも…って絶望し、食べることも体温を調節することもできなくなるほど苦しんだ時期もありました。
ただ、どんな時も明るく元気に振る舞うことが大得意な私。
誰も気付くことはなかったと思います。
見かけによらず波瀾万丈な人生の私ですが、いつも支えになってくれたのは息子の存在でした。
自分が何者なのか分からず「自分の扱い方」「トリセツ」に悩み、もがき、それでもただただ純粋に幸せになりたい一心で生きる私にいつも寄り添ってきてくれたのも息子でした。
「自分らしさ」を見失いかけた私に気づいた当時11歳の息子に背中を押され、その後私は夫と息子をNYに残し単身帰国することになるのです。
(このあたりは、またいつか機会があればお話させていただきますね。)
TedxFukuokaでもお話したように、私が最も好きな職業はママ業です。
息子は「世界一のママ」と言ってくれますが、私が息子へ渡す何倍もの愛情を私は息子からもらってきました。
特別な能力があるわけではなく「目の前のことを一生懸命やるだけ」の私が自信を持てるようになったのはコミュニケーションを学んだからですが、これは「母親」という役割をいただいたことがとても大きなきっかけになっています。
人とのコミュニケーションももちろん大切ですが、何よりもまず、自分自身とのコミュニケーションが最も大切であることを知りました。
人の悩みの99%は「人間関係の悩み」だと言われています。
私もCA時代は長時間のフライトからくる肉体的な苦痛以上に、先輩との人間関係による精神的苦痛の方が辛かったのですが、その精神的苦痛を紐解いていくと全ては「コミュニケーション」が解決の鍵であることが今なら分かります。
コミュニケーションが円滑になると誰もが抱える多くのストレスが軽減し、対人面だけでなく仕事の業績も向上していき全てがうまく回り始めるのです。
これまでにも、企業様の接遇やホスピタリティのコンサルティング、個人の方への対人面でのコンサルティング、セミナーを通してリーダーシップや営業スキルのトレーニングなど様々開催してきましたが、そのもっと手前にある「コミュニケーション」そのものについて学ばなければ、人生に違いは作ることはできません。
どんな仕事をしていても、どんな悩みをお持ちでも、全ては人と人とのコミュニケーションが根幹にあることを強く感じます。
何よりもまず自分のトリセツを手に入れ確立することで人間関係はスムーズになるのです。
自分の扱い方に悩んでいた私も、30代になっていろいろな経験と学びの中で「自分のトリセツ」を手に入れたのですが、その中心にあったものは「その時その場にあるコミュニケーションの問題を取り除く」ことで「人のお役に立てる」という大きな気づきでした。
そんな私の闇雲な努力と経験の末に見つけたコミュニケーションスキルと「自分のトリセツ」を見つける統計学を融合させ、「コミュニケーション帝王学®︎」という形で体系化しました。
コミュニケーション帝王学®︎を通して、一人でも多くの方の悩みを解決し笑顔の数を増やしたいと思っております。